関係性と革靴のはなし
こんにちは。今日は題名の通り関係性と革靴の話を書いていこうと思います。
この文章の中でお伝えしたいことが一つでも伝わったら嬉しいです。
突然なのですが、自分には今すごく大切にしている革靴が一つあります。
物にも食べ物にもある程度恵まれた環境で育ったので、小さいころから欲しいものは少なからず手に入るような生活をしていました。なのでというとあれですが、そこまで一つのものをずーーーーーっと大切に使っていたことが少なかったなあと今振り返ると感じます。
せいぜい野球をやっていた時のグローブとバット、大学受験の時に使っていた英単語長くらいかなぁ思います。
そんな自分がなんでその革靴を大切にしているかというと、きっかけはそこに革靴用のクリームと磨くためのスポンジがあったっていうのとつま先が擦り切れている革靴なんか痛そう!!って思ったからです。
なんだそんな事かと思いますが、何かが始まるときは偶発的に環境や条件がそろっていることはよくあることかとも思います。笑
はじまったきっかけはものすごく小さい事で、書いている内容も日常の小さな話です。
物を大事にできるようになった!成長した!わーい!みたいなことを書きたいわけでもありません。笑(確かにちょっと成長したかもしれませんが笑)
ではなんでこの記事を書いているのかというと、最近この革靴が特別な存在になってきたからです。そしてその革靴との関係はその他の色々な関係性とも共通しているなと感じたからです。
初めにその革靴と出会った時も、AEONの靴屋さんにある数ある革靴やシューズの一つでした。それを購入すると決めた時に関係は始まっていたわけなのですが、その時もそんなに今ほど「大事~」という感じではありませんでした。
どうしてそれが「大切な存在」になっていったのか。
ちょっと話が循環する気もしますが、その革靴を「大切にしてきた」からだと思っています。
大切にしてきたから大切な存在になっていった。みたいな感覚は最近あまりなかったのと、これこそ本当に何かとの関係性としてあるべき姿なのかとも感じました。
この関係性は友人や恋人、家族などの関係性にも言えるかなと思っています。
例えば、恋人も好きだから付き合って、お互いにとって大切と思える良質な関係が続いていくのではなくて、付き合った後にもお互いが大切にする努力をして、より深く相手を知り、相手の幸せを自分の幸せと思えるようになり、その結果としてより大切な存在になっていくのかなと
これは自分が大好きな哲学者、エーリッヒ・フロムもその著書「愛するということ」の中でいっているのですが、愛というのはどこから降ってくる名詞的なものではなく、積極的な愛するという行為をしていくなかで得られるより能動的なものだと言っています。
恋人を例に出してみましたが、人に限らずこのような「大切な存在」が増えて深まっていくことが、人生の深度を決めていくような気もしました。
だからこそ、こういう特別な存在を日常に増やしていきたいと思っています。
まずは今この記事を書いているパソコンのレッツノートを大切にしていきます。
少し重たい感じの話になりましたが、要は周りの人、モノを大切に扱っていったらとても豊かな人生になりそう!っていう話でした。
終わり